踏めているとき

今日は学校に行くとき、前を行く車に映る自分の姿を見て気づきました。
ケイデンスが低い・・・。
街乗りのみになっているとついついこうなってしまうのではないか。
と思い帰りは高ケイデンスで走ってみました。
すぐにバテましたが・・・。


よく自転車の調子がいいとき「最近よく踏めている」という表現を使いますが、個人的には自分で「踏めている」と感じるときは、往々にしてあまり調子が良くない時期なんです。
自分で踏めていると感じているときは、平地や下りの調子がすごくよく感じて、あまり登れない。
調子がよくなってくると、登りは進むんだけど、平地や下りではあまり踏めている感じがない。
でも、実際レースでよく走れるのは後者の時期。
きっと踏めていると主観的に考えているときは、無駄な力を思いっきりかけているんだと思う。
だから主観的に考えているほど進まないし、そうなると平坦は誤魔化せても登れない。
ホントは自分では踏めていると思ってなくても進んでいるときが一番踏めているんだろう。
主観と客観のずれ。
無駄な力が抜けていると激坂でもそんなに踏んでいるという感覚ではなく、まわしているような感覚で登れてた気がします。
実際は低ケイデンスになっているんですが。


とかいうことを考えてました。
ちなみに今は「踏めない」
踏めていない、との圧倒的な違い。
物理的に不可能、と。笑


でも、弱くても筋肉の使い方は考えて乗るべきだと思うんですよ。
意識するのとしないのでは絶対に効率が違う気がします。
勘ですが。